2019年12月31日火曜日

ありがとうございました。

今年最後の行事がまさかお葬式になるとは。
6年前に亡くなった親友のお母さんとのお別れだった。
息子に先立たれる2年前にはお父さんがお亡くなりになってるから、この8年間はお母さんにとって、最も辛い人生だったのに、そんな素振りは一切見せずにいつも気丈に振舞われてた。

今思うとお母さんの後押しもあったんだろう、親友の娘さんの結婚式でバージンロードを歩かせてもらった。子供の居ないオレにこんな素晴らしい経験をさせてもらったことに本当に感謝しかない。
一度だけ、お母さんを誘って立川志の輔の落語を観に行ったことがあった。その帰り道、二人で桜が散り始めた春の夜のいたち川沿いを歩いた。いい想い出をありがとう、そしてお疲れ様でした。
お母さん、空の上で秀明を抱きしめてあげてください。

ちょうど、竹内まりやの「いのちの歌」を聞きながらの大晦日の夜に記す。



2019年12月19日木曜日

あのね、

中学校の還暦同窓会があったことは前に投稿した通りなんだけど、今まで4回くらい同窓会があって、1回目が40歳の時だったかな、それでも卒業してから24年だもんな。
みんなの風貌が変わってるのが当然で、、、。
中学の同窓会となると誰もが好きだった人と再会したいわけですよ。でもその時は再会できず残念。そして回を重ねるもそんな残念が続いて、再会することを半ば諦めてる自分も居たりした。

もともとオレが一方的に想いを寄せてるだけなんだけど。
その人と最後にあったのは17歳頃だったかな、そのあと風の噂で、高校を出たあとは大学進学で富山を離れて、その後しばらくしてから外人さんと結婚したと知った。

今回の同窓会は80人余り参加してて会場も広くて、あたりをジロジロ見るのも気が引けて見渡すこともなく、3年3組と記されたテーブルに座って同級生らと懐かしい話をしてたんだわ。
時計が進むにつれ、我ら世代じゃ珍しく動画(8mm)が残ってて、それも修学旅行の記録。
それを見るのにみんな着座して会場も少し暗くなって静かになった。
それまで喋るのに夢中だったから、喉が渇いて飲み物とデザートを取りにそっと席を立ったんだわ。

デザートを物色中に『野村くん?』って声を掛けられた『はい』と答えながらも、その声のトーンに聞き覚えがあって、脳みそが瞬間で溶けたね。そして旧姓で名乗ってくれて、その懐かしい名前の持つ響きがたまらんかったよ。周りのみんなは動画鑑賞中なんで大声を出すわけにもいかんから、小さな声で一言二言会話したら、同じ中学の先輩のTさんとFacebookで繋がってて、オレの近況も何気に見られてたのにもぶったまげたよ。彼女は年齢より若く見えたのも嬉しかったし、なにより元気そうなのが一番良かった。『今、どこに住んでる』って聞いたら、その答えが、ご近所さんだったのにも超驚いたね。

彼女とは中学1年の時だけクラスが一緒だった。2年と3年はクラスも遠くて話しすることもなかった。入学して初めての席替えですぐ近くの席にいたのは覚えてる。
あっという間に自分の気持ちが彼女に傾いてくのがわかった。
その1年生を過ごした時間なんて、休みを数えるとせいぜい200日余りしか共有してないわけで、ましてや片想いだからそこには甘い恋の話しなんてないし、懐かしい話しをしても30分もあれば終わって、40数年のブランクを埋めるほどの話しも無いやろ、普通は、、。

彼女は勉強も出来てスポーツも優秀そしてピアノも弾ける、憧れの存在だった。
だから勉強嫌いで運動音痴なオレは相手にされることはないだろうし、ライバルもたくさんいたし、競争をする勇気も覚悟もなくただ漠然としてたね。

音楽の時間、彼女のピアノ伴奏に合わせてクラスのみんなで歌うことがあった。
音楽室に流れるピアノの音や鍵盤を弾く仕草が素敵でその空気感にずっと溺れていたかったよ。その時だよ、音楽(ギター)を真剣にやろうと決心したのは。
もともと音楽を聴くのは大好きでギター弾ける人に憧れてたから、やるならギターって。
この年頃の男子がギターを始めるのはモテたいという不純な動機がほとんどだろう。
でもオレの場合はモテたいというよりは彼女に振り向いて欲しかったんだよね。
走るの嫌いだったから在籍してたサッカー部の練習にはほとんど行かず、ギターオタクになってたわ(笑)

中学2年の音楽の時間に雅楽「越天楽」をみんなで器楽合奏することになって、先生が『ギター弾ける人』って問いかけるもんだから、思わずスッと手を挙げてしまったね、数人いるかなって思ったら、なんとオレ一人やないか。
先生から楽譜をもらったわいいわ、五線譜が読めないし結局友達の兄ちゃんに弾き方を教えてもらったんやけど、和音階になれなくて相当苦労したよ。
本番の日、一番聴いてほしい彼女がクラスに居なかったから残念だったよ。
クラスは違えど授業は同じだろうから、彼女はピアノパートだったんかな?なんて思いながら弾いたのを覚えてるのも、これが人前での初めての演奏だったから。
今思うと、この音楽室であった二つの情景が原点だったんだね。
でも音楽の点数は悪かった、アルトリコーダーちゃんと吹けね〜し(爆)

10代後半は音楽に夢中だった。もはやモテるための音楽じゃなかった、真剣に音楽と対峙してたよ。当時はベース担当でアマチュアバンドのコンテストにもいっぱい出たし、ひたすら上を目指していたね。
上に手が届かないことを確信した19歳も終わる頃、ハワイ発のサーフミュージックに出会ってね、そこにタイミングよく映画「ビック・ウエンズデー」がロードショーされるもんだから、それ観たらサーフィンにハマったね。
挫折した音楽から逃げたかったんかな、、、。
サーフィン最初は難しかったけど、やっていくうちに自分の潜在能力が開花して、運動神経悪いとばかり思ってたけど、どちらかというといい方やったよ(笑)

サーフィンの話しはどうでもいいんだけど、それに夢中になった期間はさすがに音楽がおろそかになってね、でも鈍らない程度にギター触ってた。
その後、音楽との向き合い方も少し楽になって、アマチュアバンドやったり、ボサノヴァ・ギターを習いに行ったこともあった。楽器屋さんにウクレレ教室の講師を頼まれたり、ギターも教えたわ、月2のペースでトタールで5年くらい講師をしたかな。



同窓会から帰ってきて、さっそく中学のT先輩のFacebookを開いて、彼女を探して友達申請して、承認してもらって彼女のページを見たらレンタルスペース業してて、前々から個人でウクレレ教室を開講したかったから、近いところで適当な場所を探してたところにこの情報はありがたかった。渡りに船ってやつね。
早速、彼女に連絡して行ってみたらピアノも置いてあって音楽の環境がバッチリ整ってて、雰囲気もすごくいい感じ。
近所迷惑にならないだろうか?の音量と音圧のテストなんだけど、彼女の前でウクレレの試奏、それも歌いながら弾くのはこっぱずかしかったけど精一杯弾いたよ。
そしたら彼女もウクレレを弾きたいって言ってくれて嬉しくてビックリ。
でもそれ以上に驚いたのは彼女もピアノを続けていたことだ。今度一緒にコラボしようってことになった、それもユーミンで。もちろんウクレレ教室もやらせてもらえる。

恋が成就することは万に一つもなかったろうけど、音楽を始めた動機付けは不純なわりには正しかったわ、やったねオレ!
そのおかげでサーフィンとも出会えたし、ホントあの音楽室での出来事は人生を豊かにしてくれたよ。そして40数年後にね、その彼女に会って「昔懐かしい話し」だけじゃなく、少し先の「未来の話し」が出来るのは嬉しい事件の始まりなんだと、、、。
彼女には感謝だね。

音楽のドキュメント映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でライ・クーダーがキューバの老演家たちとセッションした時に残してる言葉があって、細かなニュアンスまで覚えてないけど『僕はあなたたちと演奏するために今までギターを練習し続けたきたのだ』と、遥か以前に大成功を手にしてるライが「練習」というワードを口にしたのには感動したよ。

正直言うとずーっと彼女を想い続けて練習してたんじゃないけどね、ライ・クーダーの言葉に似た感覚なんだよ。それで今の心境を残したいから書いたら、ちょっと長くなっても〜たよ(笑)
シルバーシーズンが始まってるのにブルーシーズンを語る60歳はいかがなものか、、、。

2019年12月5日木曜日

子供の時のまま

中学の頃、部活(サッカー部)をサボって、とっとと帰宅してギターを寝るまで弾いていた。今まさにそれに近い状態で、ウクレレをひたすら弾きまくっている。手当たり次第に弾きたい曲を弾いている。懐かしい記憶が蘇ってくるのも、ちょっと嬉しい。もしかしたら中学時代よりも弾いてるかのように錯覚さえもする。

大人になるにつれ心が整理しづらくなってきたけど、音楽はそれを忘れさせてくれる。続けていて良かったと思えるひとときが嬉しい。家族には迷惑な話だが、、、。
子供の時のまま、なにも考えずただただ夢中になりたい。

 ライブ用にピックアップ付きのウクレレも新調した。

2019年11月24日日曜日

最近2

ウクレレを弾くのが楽しいし、教えてあげるのも楽しい。
来年年明けから独立してウクレレ教室を立ち上げる予定。
ハッピーなウクレレ教室「ハピレレ」
そのプレイベント、ウクレレ体験会を12月8日に開催予定。
フェイスブックのアカウントをお持ちの方は是非覗いて見てください。
https://www.facebook.com/ハッピーなウクレレ教室ハピレレ-108330387284526/?modal=admin_todo_tour



最近

この1ケ月くらいサーフィンが絶好調だ。
カラダのキレも良くて、気持ち良く波乗りが出来ている。
 大きな波もチャレンジ出来ているが、昔から見たらちょっとビビる時もある。
移動も多い日もあるが、それはそれで楽しい。
新しく見つけたポイントに入水することもあって冒険心も楽しい。
 ロングボードに乗る機会もあったり
 ホームポイントの岩瀬浜のボトムの地形が先月の台風で良くなってるのも調子がいい証拠。
やっぱり、こんなに調子がいいと必ずといって怪我をする、今回は顔面強打によるムチウチをほんの数時間で2度食らうことになる。
 泣く泣く、波のある日もリハビリのウォーキングに勤めてる。
おかげで日に日に良くはなってきている。週明けには海に戻れそうだ。

2019年11月4日月曜日

還暦同窓会

中学校の還暦同窓会に行ってきた。
330人中の82人の参加だって。
みんな、いい歳の取り方をしてた。
我ら世代にしては珍しく動画(8mmフィルム)が残っていてビックリ!

谷川君の挨拶から始まりました。
代表幹事の長谷川君を始め幹事のみんなのおかげで楽しい時間を過ごせました。
 校歌を歌うにもメロディが思い出せず、口パク(笑)
 八人町小学校同級生みんなとの一枚。
この同窓会も数回やってるけど、今回初めて一番会いたいと思ってた人にも会えた。
その人は昔のまんまだったんで、なんかホッとした。

物故も度を重ねるごとに増えてくのが残念だけど、仕方ないか、、、。


2019年10月31日木曜日

ホントは夏に聴きたい

10月19日、富山県民会館に高中正義を観に、と言うかバックコーラスのAMZONSを観に、と言うかAMAZONSの大滝裕子を見たさに行ってきた。
あたりまえのことだけど、バックアップミュージシャンの構成が良くて、それだけでもしびれるくらい。ベース:岡沢章 ドラム:宮崎まさひろ パーカッション:斉藤ノブ コーラス:AMAZONS キーボード:井上薫と宮崎祐介、、、最高だね。
今回のツアーはBLUE LAGOONの40周年、ホントはね去年のBRASILIAN SKIESの40周年のライブツアーを見たかったけど、富山に来なかったし残念だわ。

それでも「渚・モデラート」「エピダウロスの風」のAMAZONSのコーラスは絶品だった。アンコールでは今は亡き加藤和彦が使ってた黄色のストラトキャスター(デカヘッド)でサディスティック・ミカ・バンド時代の黒船 (嘉永6年6月4日)を演奏してくれた、冒頭でエフェクターのスイッチミスはあったもののいい演奏だった。さすがにこの曲には思い出や思入れが多くて目頭が熱くなった。

チケットを用意してくれた林君には感謝です。

2019年10月22日火曜日

通じゃないよ

映画は好きだから月一くらいのペースで映画館に足を運ぶ。すると、よく『映画通ですね』と言われるがホラー映画とか怖いのはまず観ないから『通』とは言えない。ホラー映画観た夜は眠れないしね(笑)それに月一じゃ、ダメっしょ。

自転車は凝りに凝ったときがあったけど、『自転車通』と文字に起こすと一瞬
『自転車通勤』っぽく見えるので『自転車通』としての生き方を選ばなかった(笑)

蕎麦も大好き、できれば蕎麦がきのあるお店で食べたいと思ってるが『蕎麦通』ではないので、ついつい天ぷらも頼んでしまう(笑)

2019年10月4日金曜日

楽しいことしよう

消費税が上がった途端に仕事が暇になったんで、細々と暮らして居る。
細々と暮らさなければいけないのを予想できたのに9月最終週の1週間で中古のサーフボードを2本買った、おバカである。買った以上はせっせと使うしかないのだ。

今、波乗りとウクレレが一番楽しいこと。
この二つのことYOU TUBEで色々と勉強できるのがいいね。

ウクレレで弾きたい曲を見つけたらメモったりして、割と難しい曲にチャレンジしている。

いよいよハイシーズンかな?
台風18号から温帯低気圧に変わって、日本海がようやくざわつき始めた。
10日ぶりのサーフィンが明日から楽しめそうだ。

2019年9月9日月曜日

還暦

夏生まれのオレはやっぱり夏が好きだ。いつもの年よりも充実した夏を過ごせたと思う。
前述したOWSがいい経験をもたらせてくれた。

今まで、サーフィン/テレマークスキー/自転車/トライアスロン/水泳などなど、あっ音楽(バンド)もそうだな、競技大会やコンテストに出てきた。それなりに結果を残せたものもあれば、そうでないのもある。ただ今回のOWSのように最下位は初めての経験だった。
この経験でなんかが吹っ切れたから、いい還暦を迎えられたと思う。

思えば、ブレブレな60年だった。
一つのことに集中して、何かに臨めてれば、その道のスペシャリストになれてるんだろうけど、やることなすことが中途半端な感じは否めないでいた、でもそれがオレ自身なんだわ。だから、この先もスタンスは変わらず、ブレブレのまま。

今は夏空の下で思う存分サーフィンを楽しみたい、もう秋なのに、、、。




OWS本番

ちょうど3ヶ月前に、還暦の記念にと思いオープンウオータースイミングに出ることを決意。
http://layla101.blogspot.com/2019/06/ows.html
この3ヶ月、100%ととは言えなくてもほぼ順調にトレーニングを積んできた。
本番前の最終週は疲れを残したくなく月曜と木曜にアンダートレーニングで調整。
本番前日は映画「パピヨン」のリメイク版を観に出かけた。これが体調を崩す原因(冷房と飲食)になったらしく、その夜から下痢を起こし、ほぼ一晩中続いた。朝になっても止まらなかったので正露丸を飲んで無理やり止めた。(下痢は滅多にないのだけど、この日に限って、なぜって?)
睡眠不足とは言え、気力は十分。
会場へ向かい、受付までの時間をカズと一緒にたわいもない話をしてリラックスできた。
オフィシャルのカメラマンはシンヤ君としんご君だったんで個人的な写真をいっぱい撮ってもらったのはホントありがたい。


受付後、着替えてビーチクリーンで汗をかけたのも良かった。
750m,1500m,3000mの3種目をスイムキャップの色で分けられていて3000mはグリーン。
ボディナンバーは66でウェットスーツ着用者は両手の甲に書かれる。

 コースを見るとその長さに圧倒されたけど、やるっきゃない。
1周750mを4周、1周を20分x4周でトータル1時間20分といい加減ではあるが、プランを立ててみた。ノープランよりはマシだろ(笑)
ウォームアップをするも、体のキレが感じられないけど、やっぱやるっきゃない。
スタート前、選手と大会スタッフと集合写真を撮って、スタートを待つ。
スタートと同時にガーミン(腕時計)を起動させた。後方からスタートしたつもりだったけど、結構接触があった。心拍数を上げずにリラックスしてスタートできてるのがわかった、あとはゴールするまで孤独な時間。
復路は思ったよりも真っ直ぐには進めず、かなり潮に流されて苦戦を強いられた。
時計を見ることもなかったのでプラン通りに進んでるかどうかもわからずに、ひたすら泳いだ。クロールとブレストのミックスで。
3周目、途中で足が攣って、完全にフォームが崩れた。足を攣ることは想定内(練習中もしょっちゅう)だったので慌てることなく、騙し運転で進んでいた。
近くにいたライフセーバーが近寄ってきて「大丈夫ですか?どうされましたか?」って声をかけてくれた。さすがプロのライフセーバーだと思った。
「足攣った」「どっちの足のどこらへんですか?」「右足指から足裏、フロート貸してください」投げてくれたフロートにつかまり、ゴーグルを外して曇りを除去して再装着。1分くらいだろうか休んだ。「ありがとうございました」とフロートを離れたはいいが、ゴーグル内に海水が浸入。とりあえず次のライフセーバーのところまで行って直そうと、我慢の時間が続く。ゴーグルを再々装着してる内に足が少し楽になったきた。この時点で最下位まで順位を落としたのがわかった。何人かにラップされていった。第4コーナーを回った浅瀬でストレッチを入れながら歩いたら、かなり楽になった。
3周目を終了時点で初めて時計を見た、58分だった。ほぼプラン通り。足切りのタイムリミットまであと62分と思うと一気に楽になった。
このプロのライフセーバーたちは関西の方から来てて、ホント頼もしい人たちだった。
お世話になりました。
4周目に足のトラブルの不安を残すも、ライフセーバーの「いい感じです」「も、少しです」の応援は嬉しかった。呼吸が辛いわけでもなく、腕に乳酸が蓄積されてるでもなく、ただ惰性で泳いでる感じだった。最後の黄色のブイは遠く感じた。
1時間17分9秒で最下位で無事完泳。最下位とは言えプラン通りになったから良しとしよう。
ゴール直後にシンヤ君のカメラが素敵な写真を撮ってくれた、ありがとう。
表彰式は750mでカズが3位と健闘、おめでとう!大会も完泳率100%で脱落者無し。
足が攣ってもリタイヤは考えてなかったから良かったわ(笑)
主催者、大会関係者、ボランティアスタッフ、選手の皆様ありがとうございました。

海・風・潮の香り・青い空・夏に感謝。還暦のいい記念になりました。

備忘録:本番前日は日常的に過ごすこと(笑)今回はほとんどハーハーゼーゼー心拍数を上げることなく呼吸はかなり楽だったんで、もうちょっと追い込めたと思う。足が攣ることは想定内と言え、これが一番辛い。









2019年8月22日木曜日

LIVING ART in TOYAMA 2019

6月初旬にLIVING ART in TOYAMA 2019のプロデューサーの貫場さんにアートとスポーツをコラボさせたいと依頼があった。これは断る理由もないので引き受けさせてもらった。
LIVING ART in TOYAMA 2019自体にはプログラムされないのだけど、貫場さんが主宰するVEGAを基点に VEGAタイム・ギャップレースと称するサイクルイベントを立ち上げた。
速い人が勝つという、当たり前のレースではなく誰もが楽しめるレースにしたら、18名(女性4名子供1名)もの人が参加されて笑顔が絶えない楽しいレースになりました。参加の皆様ありがとうございました。

LIVING ART in TOYAMA 2019は8月17日と18日の2日間開催されてて、コンテンツが盛りだくさんで楽しかった。アートもイートも素晴らしかった。(ここでは詳細を省きます)

世界で活躍されてるヴァイオリニストのsayakaさんとギターのカルロスさん(キューバ人)パーカッションのゲンキさんのライブを一番楽しみにしてて、南米のリズムに酔いしれるいい時間だった。

1日目が終わって貫場邸でのパーティーに招待されて行ってみると、そこにはミュージシャンの3人も居て、さらにはsayakaさんのご両親(作曲家の香月修さんご夫婦)も。いろいろと音楽の話を聞いてると、楽しくて楽しくてたまらなかった。(この話も書き留めておきたいのだけど)
そしたらカルロスさんがギターを持って弾き語り始めてくれて、メンバーはハモりながら素晴らしいコーラスアンサンブルを披露してくれた。いわゆるシークレットライブって言うやつね。このギター、実はKAKIの清さんのマーチンなんだね、いい音してた。

数曲演って、何やら聴き覚えのあるイントロが流れてきた。ALEX CUBAのSi Pero Noではないかと一緒に口ずさむとsayakaさんが驚きながらオレの方へ振り向いて「この曲知ってるの?」って。その質問にオレも驚きながら「Si Pero Noでしょ」って返すとびっくりされた。日本人でこの曲知ってる人はホントごく少数だそうだ。こんな田舎に知ってる人が居てびっくりだったんだろうな。そしたら2日目のファイナルでこの曲をリクエストしたら演奏してくれて、飛び上がるほど嬉しかった。音楽にここまで酔いしれるのはなかなか体験できないスペシャルな2日間だった。貫場さん、ホントありがとうございました。sayaka band最高!最幸!


恒例 お盆の自転車旅

今年で4回目となる、お盆の恒例行事の夏男旅は台風直撃予報でコース変更と日程短縮で、強行日帰り弾丸サイクリングとなる。
今年の幹事はオレ、大変悩ましく催行前日の14日に台風10号の影響をできるだけ避けて、コースディレクトした。東から西へ向かうのが一番良いだろうと判断して南会津から新潟中越までの140kmのサイクリングをすることにした。ただ車での移動も長くて総距離が700kmとなるので早朝から深夜までの覚悟が必要(笑)

5時に魚津インターをスタート、北陸道磐越道をつないで会津若松まで、少し時間に余裕があったんで鶴ヶ城を観光。自身2回目だけど、いまだ綾瀬はるかには会えない(笑)
 3年前の旅の時に偶然見つけた蕎麦屋の蕎屋をサイクリングの起点とした。
ここも早く着いたんでサイクリングの準備をしながら待つことに。
開店前に入店させてもらって、おのおのでオーダー。オレは安定の天盛り蕎麦。
十割蕎麦だけあってうまい。
 食事後、すぐに走り出す予定だったけど、どうにも腹がいっぱいで、10kmほど車で端折ることにした。12時前にスタートしてドライバーを交代で140kmを目指す。川沿いの道をゆっくり漕ぎ始める。天候の読みよく、風はフォローを受けながら距離を伸ばして行く。

南会津〜昭和村〜会津川口〜只見町〜田子倉ダム。ここで5分の3を消化。暑くてかなり脱水気味でヨネちゃんとオレはかなりペースダウンした。途中で持参した経口補水液を飲んだら意外と回復が早かった。田子倉ダムまで休憩らしい休憩がなかったんで、結構きつかったな。
 難所、六十里越は年齢考慮によるドライバーが当たったんで少しは楽できたかな(笑)

 六十里越で新潟県に入る。さすが田中角栄が整備したとされるだけあって、道路がすごく走りやすい。
最後の第5区間ドライバー引き継ぎでトラブル、先行者二人が行方不明となる。
なんんでゴールのとちおには後行車の二人が先に着いた(笑)
ゴールから車で長岡市街まで移動して入浴夕食を済ませ帰路につく。
全員無事帰宅。早朝から深夜までお疲れさまでした。

備忘録として、自転車で走るのにはすごくいいコースだった。西日本に台風が直撃ならこのコースがおすすめである(笑)






2019年8月14日水曜日

鈴木茂トーク&ライブ

夏の夕方、お気に入りのアロハシャツを着て街へ。
名曲に酔いしれる、幸福な時間。


2019年8月8日木曜日

リベンジ

この夏は暑すぎて、仕事現場で事故があったり、そんな諸事情で仕事がそこそこしかできず、稼ぎが悪くなってます。
その分、体力と時間があるので惜しみなく使ってます。
で、4年前、機材トラブルで完走できなかったシングルスピード(変速なし)での自宅発の高山往復の再チャレンジをすることにした。
4年前の記事はこちら
http://layla101.blogspot.com/2015/07/blog-post_22.html

家を4:15出発。熱帯夜で少し蒸し暑いけど風を切れば少しは快適かな。
そんなかほぼ1時間ごとに5分から10分の休憩をとりながら順調に進んで行く。
楡原駅
打保
R360 R41合流地点の焼肉かをる、帰路はここで昼食かなと思いつつ。
高山の6km手前で腰痛が厳しくなって、何気に休憩したところが筋トレのジムだった。
入口のガラス越しにウェイトみたら余計に腰が痛くなった(笑)
8:30過ぎに高山陣屋前に到着。4年前よりなぜか10分ほど速く走れてる。上手く走れた感じがよろしい。
朝市で4年前同様に桃を2個買ったらプラムをおまけしてくれた。ありがたい。これはいい水分補給になる


 陣屋前で少し休憩した後、飛騨古川まで移動。
ここでも4年前と一緒の飛騨牛串焼き、みたらし団子、飛騨アイスを食べて昼食を抜くことにした。焼肉かをるはパスとなる(泣)


帰りは日差しが強くなり、さらに向かい風にいじめられることになる。
宮川で長めの休憩をしてラスト50kmに備えるも、暑すぎ!
 いつもの打保
楡原 、4年前はここより3km手前で痛恨のリタイヤ(帰宅困難者)となるが、無事通過(笑)
この最後の区間が一番辛かった。暑さと向かい風と、攣りそうになる足が、、、。

結果、下り基調の復路の方が時間がかかってる。向かい風にいじめられたのがよく分かるデータとなった。それでも無事リベンジ成功した。来年も走ってみるかな。