2019年12月19日木曜日

あのね、

中学校の還暦同窓会があったことは前に投稿した通りなんだけど、今まで4回くらい同窓会があって、1回目が40歳の時だったかな、それでも卒業してから24年だもんな。
みんなの風貌が変わってるのが当然で、、、。
中学の同窓会となると誰もが好きだった人と再会したいわけですよ。でもその時は再会できず残念。そして回を重ねるもそんな残念が続いて、再会することを半ば諦めてる自分も居たりした。

もともとオレが一方的に想いを寄せてるだけなんだけど。
その人と最後にあったのは17歳頃だったかな、そのあと風の噂で、高校を出たあとは大学進学で富山を離れて、その後しばらくしてから外人さんと結婚したと知った。

今回の同窓会は80人余り参加してて会場も広くて、あたりをジロジロ見るのも気が引けて見渡すこともなく、3年3組と記されたテーブルに座って同級生らと懐かしい話をしてたんだわ。
時計が進むにつれ、我ら世代じゃ珍しく動画(8mm)が残ってて、それも修学旅行の記録。
それを見るのにみんな着座して会場も少し暗くなって静かになった。
それまで喋るのに夢中だったから、喉が渇いて飲み物とデザートを取りにそっと席を立ったんだわ。

デザートを物色中に『野村くん?』って声を掛けられた『はい』と答えながらも、その声のトーンに聞き覚えがあって、脳みそが瞬間で溶けたね。そして旧姓で名乗ってくれて、その懐かしい名前の持つ響きがたまらんかったよ。周りのみんなは動画鑑賞中なんで大声を出すわけにもいかんから、小さな声で一言二言会話したら、同じ中学の先輩のTさんとFacebookで繋がってて、オレの近況も何気に見られてたのにもぶったまげたよ。彼女は年齢より若く見えたのも嬉しかったし、なにより元気そうなのが一番良かった。『今、どこに住んでる』って聞いたら、その答えが、ご近所さんだったのにも超驚いたね。

彼女とは中学1年の時だけクラスが一緒だった。2年と3年はクラスも遠くて話しすることもなかった。入学して初めての席替えですぐ近くの席にいたのは覚えてる。
あっという間に自分の気持ちが彼女に傾いてくのがわかった。
その1年生を過ごした時間なんて、休みを数えるとせいぜい200日余りしか共有してないわけで、ましてや片想いだからそこには甘い恋の話しなんてないし、懐かしい話しをしても30分もあれば終わって、40数年のブランクを埋めるほどの話しも無いやろ、普通は、、。

彼女は勉強も出来てスポーツも優秀そしてピアノも弾ける、憧れの存在だった。
だから勉強嫌いで運動音痴なオレは相手にされることはないだろうし、ライバルもたくさんいたし、競争をする勇気も覚悟もなくただ漠然としてたね。

音楽の時間、彼女のピアノ伴奏に合わせてクラスのみんなで歌うことがあった。
音楽室に流れるピアノの音や鍵盤を弾く仕草が素敵でその空気感にずっと溺れていたかったよ。その時だよ、音楽(ギター)を真剣にやろうと決心したのは。
もともと音楽を聴くのは大好きでギター弾ける人に憧れてたから、やるならギターって。
この年頃の男子がギターを始めるのはモテたいという不純な動機がほとんどだろう。
でもオレの場合はモテたいというよりは彼女に振り向いて欲しかったんだよね。
走るの嫌いだったから在籍してたサッカー部の練習にはほとんど行かず、ギターオタクになってたわ(笑)

中学2年の音楽の時間に雅楽「越天楽」をみんなで器楽合奏することになって、先生が『ギター弾ける人』って問いかけるもんだから、思わずスッと手を挙げてしまったね、数人いるかなって思ったら、なんとオレ一人やないか。
先生から楽譜をもらったわいいわ、五線譜が読めないし結局友達の兄ちゃんに弾き方を教えてもらったんやけど、和音階になれなくて相当苦労したよ。
本番の日、一番聴いてほしい彼女がクラスに居なかったから残念だったよ。
クラスは違えど授業は同じだろうから、彼女はピアノパートだったんかな?なんて思いながら弾いたのを覚えてるのも、これが人前での初めての演奏だったから。
今思うと、この音楽室であった二つの情景が原点だったんだね。
でも音楽の点数は悪かった、アルトリコーダーちゃんと吹けね〜し(爆)

10代後半は音楽に夢中だった。もはやモテるための音楽じゃなかった、真剣に音楽と対峙してたよ。当時はベース担当でアマチュアバンドのコンテストにもいっぱい出たし、ひたすら上を目指していたね。
上に手が届かないことを確信した19歳も終わる頃、ハワイ発のサーフミュージックに出会ってね、そこにタイミングよく映画「ビック・ウエンズデー」がロードショーされるもんだから、それ観たらサーフィンにハマったね。
挫折した音楽から逃げたかったんかな、、、。
サーフィン最初は難しかったけど、やっていくうちに自分の潜在能力が開花して、運動神経悪いとばかり思ってたけど、どちらかというといい方やったよ(笑)

サーフィンの話しはどうでもいいんだけど、それに夢中になった期間はさすがに音楽がおろそかになってね、でも鈍らない程度にギター触ってた。
その後、音楽との向き合い方も少し楽になって、アマチュアバンドやったり、ボサノヴァ・ギターを習いに行ったこともあった。楽器屋さんにウクレレ教室の講師を頼まれたり、ギターも教えたわ、月2のペースでトタールで5年くらい講師をしたかな。



同窓会から帰ってきて、さっそく中学のT先輩のFacebookを開いて、彼女を探して友達申請して、承認してもらって彼女のページを見たらレンタルスペース業してて、前々から個人でウクレレ教室を開講したかったから、近いところで適当な場所を探してたところにこの情報はありがたかった。渡りに船ってやつね。
早速、彼女に連絡して行ってみたらピアノも置いてあって音楽の環境がバッチリ整ってて、雰囲気もすごくいい感じ。
近所迷惑にならないだろうか?の音量と音圧のテストなんだけど、彼女の前でウクレレの試奏、それも歌いながら弾くのはこっぱずかしかったけど精一杯弾いたよ。
そしたら彼女もウクレレを弾きたいって言ってくれて嬉しくてビックリ。
でもそれ以上に驚いたのは彼女もピアノを続けていたことだ。今度一緒にコラボしようってことになった、それもユーミンで。もちろんウクレレ教室もやらせてもらえる。

恋が成就することは万に一つもなかったろうけど、音楽を始めた動機付けは不純なわりには正しかったわ、やったねオレ!
そのおかげでサーフィンとも出会えたし、ホントあの音楽室での出来事は人生を豊かにしてくれたよ。そして40数年後にね、その彼女に会って「昔懐かしい話し」だけじゃなく、少し先の「未来の話し」が出来るのは嬉しい事件の始まりなんだと、、、。
彼女には感謝だね。

音楽のドキュメント映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でライ・クーダーがキューバの老演家たちとセッションした時に残してる言葉があって、細かなニュアンスまで覚えてないけど『僕はあなたたちと演奏するために今までギターを練習し続けたきたのだ』と、遥か以前に大成功を手にしてるライが「練習」というワードを口にしたのには感動したよ。

正直言うとずーっと彼女を想い続けて練習してたんじゃないけどね、ライ・クーダーの言葉に似た感覚なんだよ。それで今の心境を残したいから書いたら、ちょっと長くなっても〜たよ(笑)
シルバーシーズンが始まってるのにブルーシーズンを語る60歳はいかがなものか、、、。

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