2018年5月20日日曜日

1976年

先日、フェイスブックに17歳の時の写真(共に右手前がオレ)をアップしたら、嬉しくも反響がいっぱいあったので少し回顧録を残しとこかと、、、。
バンド名が『TeenyBopper』って言う名前で10代の時にしか使えない名前をよく付けたもんだと我ながら思う。メンバーは小中学校時代の同級生とその同級生の高校の同級生でいわゆるギター2ベース1ドラムス1の4ピースでやってた(写真には5人写ってるけど)。
1枚目は地鉄ビルの5Fホールでのアマチュアバンドが集まってのライブの時にステージ袖で待機中に写してもらったものだと思う。2枚目がその後の打ち上げした喫茶店『ぼろ』の3Fの練習場だと思う。
時期は12月だと記憶している。誰がこの写真を撮ってくれたかは記憶にないのだけど『ぼろ』に出入りしてた先輩方だと思う。特に1枚目の写真がお気に入りかな。この華奢な体つきが懐かしいし、それなりにロン毛だし(笑)2枚目のタバコも笑えるね。
この頃、やってたのが『はっぴーえんど』や『めんたんぴん』泥臭いサウンドのコピーだった。

そしてこの頃に出会った(買った)特に印象深いレコードが2枚ある(共に1976年発売)。
言わずと知れた『ゴダイゴ』なんだけど、これがデビューアルバム『新創世紀』で、『銀河鉄道999』や『西遊記』などはこれからしばらくしてからだった。だからこの頃は「言わずと知れた」までは行ってなかった(笑)。今聴いても素晴らしく、A面の5曲は名作ですね。
ドラマ『太陽にほえろ』『傷だらけの天使』への楽曲提供や演奏、さらには沢田研二のバックバンドを務めた井上堯之バンドの井上堯之本人名義のソロアルバム。
ただ残念にも先日他界された。悼みたく思い、彼の仕事(音楽)を聴きたく、まずはこのアルバム。そして特に影響を受けたのが彼もメンバーだった『PYG』だ。グループサウンズも陰りを見せた頃にタイガース、スパイダース、テンプターズから2名づつが参加して出来たスーパーグループだ。フロントにジュリーとショーケンがいてメチャ恰好よくて、名優『岸部一徳』もベースでの参加してたのも忘れてはいけない。この『PYG』での井上堯之と大野克夫の仕事っぷりは実にスゴいのだ。フロントの二人が霞むほどにいい仕事してます。でも当時はそこまでは気付かなかったんだけどね。
当時の地方アマチュアバンドってミーハー的なことを避けてたような気がする、実はオレにはミーハーな部分が多々あって(笑)でも、この辺りのミーハーをコピーしたいとも言えずに結局『はっぴーえんど』や『めんたんぴん』みたいな泥臭さいロックのコピーになったんやろうな。元々はモテたくてバンド始めたのにマニアック過ぎて全然モテなかったね。ミーハー路線に行ってりゃモテたかも?だね。
そして『PYG』のようなこんなかっこいい写真を残してみたかったと今更ながらに思うよ、ストライプのパンタロン(死語)履いてね(笑)
明けても暮れても、音楽しかなかった1976年そして17歳は楽しかった。

写真を撮ってくれた方やバンドメンバーに感謝です。
井上堯之氏のご冥福をお祈りいたします。

PS,中3だった思う。ジュリー&井上堯之バンドのコンサートを高岡市民会館に見に行ったことがある。『岸部一徳』も『岸部修三』のクレジットでベースを弾いてた。ショーケンが居れば『PYG』だったんだけどね。









1 件のコメント:

やっさん さんのコメント...

西遊記のゴダイゴや太陽にほえろ、傷だらけの天使の
オープニングは小学生のおいらのハートをがっつり
掴みました(笑)当時井上堯之、大野克夫とも全く知ら
なかったけれど。
やっぱり長髪にやせ型でないとダメなんだな。