2018年6月25日月曜日

背中を押してくれた人

6月17日、テレマークスキーの大先輩そしてレジェンドの大塚信一さんが亡くなられた。
大塚さんと初めて会ったのはいつかはハッキリと覚えてないけど、初めて彼の隣に立てたのが'99/'00シーズン最終戦のパタゴニアカップ(マスタークラス)だったと記憶。

それからずっと彼を追い続けていた。勝負のあやで時たま勝てたこともあったけど、その差は歴然としていた。
'00/'01シーズンの初戦と第2戦が栂池高原スキー場であって初戦GSは5位と振るわずにいたが、第2戦スプリントで真ん中に立てた。
この時点でシリーズポイントがトップとなった。
そして第3戦が白馬みねかたスキー場でのクラシックレース。
ここも続けて真ん中をゲットした。この時、大塚さんに言われたのが『シリーズチャンピオンを取れる時に取りなさい』と背中を押してもらった。
そしてこのシーズン全6レースを転戦した。体力面、精神面、金銭面すべてが限界を超えていた。この頃には表彰台は確実なものとなってたけど、順位にムラもありポイント争奪は最終戦までもつれた。
それでもなんとかシリーズチャンピオンをゲットした。あの時あの言葉がなかったらここまでは来てないだろうとシリーズチャンピオンの表彰式で思ったのを今も覚えている。
それから数年は一つ上のクラスで参戦したため、彼とは交えていなかった。
レースを引退後'09/'10シーズンで技術戦(トラディショナル・クラス)にエントリー。この時は大塚さんが違うクラスでエントリーしたたので、棚ぼたで優勝をゲットすることが出来た。ちなみにこの時は立山山麓勢の1,2,3フィニッシュとなった。
来年は同クラスで参戦しましょうと言って別れた。しかし東日本大震災があって実現しなかった。
そして'11/'12シーズンに同じクラスで交えることになった。結果は大塚さんの足元にも及ばなかった。それでもどうにか3位(笑)

ずっと、あなたの背中を追いかけてましたよ、大塚さん。心よりご冥福をお祈りします。

4月松本にお邪魔したときお誘い頂いたのに、当方時間がなくて会えなかったことが悔まれます。あの世でお会いしたときに叱ってやってください。

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