中学を卒業してすぐの頃、CAROL・解散ライブツアーの富山公演を観た。興奮しすぎてよく覚えてないけど、観客のほとんどが怖いお兄さんたちだった(笑)
その後、YAZAWAがソロとなり「アイ・ラブ・ユーOK」のツアーが始まった。ラストライブと同じ年だったか、その翌年だったか記憶は定かではないけど、富山にもそのツアーがやってきて、もちろん観に行った。キャロルで見るYAZAWAとは大きくかけ離れていた、、、あたりまえか。ライブを観ていくうちに、引き込まれていく方向がバックでギターを弾いてる二人に目と耳を奪われていった。それが相沢行夫と木原敏雄だった。相沢さんは「アイ・ラブ・ユーOK」のレコードにクレジットされてたから、なんとなく名前だけは知ってた。木原さんは名前も顔も全く知らない人だったけど、ギターを弾く姿にシンパシーみたいなものを感じたのを今でも覚えてる。この頃にサイドマンを見る目が育ってたんや(笑)(サイドマンについての投稿はコチラ)
そして富山公演があると観に行ったけど、そのうち富山の会場での観客のマナー(半分以上が暴動っぽい)の悪さに富山公演の受け入れ先がなくなった。すごく残念だった。
この二人がNOBODYを結成する経緯は当時は知らなかったことだけど、YAZAWAがアメリカに活動拠点を移したことを期にYAZAWAファミリーを抜けて結成したとのこと。
ファーストアルバム「NOBODY」を買って聴いたら、飛び上がるほど興奮したね。コレだよ!コレだよ!
'85年前後に富山公演に来てくれたのよ、この頃はもはやヒットメーカーだったと記憶してるんだけど観客が200人くらいしかいなくて淋しい感じだった。そんなことは諸共せず、彼らなりの最高のパフォーマンスを披露してくれた、マージービート炸裂な夜だったのはつい昨日のことのように感じる。セットリストにあったんだと思うけど突然ビートルズの「Nowhere Man」をやってくれたんんだよね。マージービートってやっぱコーラスワークがあってなんぼでしょって思うわけで、NOBODYの二人は最高だね。
木原さんを生で観たのがこれが最後だった。
やっぱ影響を大きく受けたのが木原さんで、ギターやその構え方、着る服もそだね、なんとなく真似したよ。('96年からアマ・バンド再開した)
こつこつとアナログ盤を買い集めていったね。4~5枚だったかな。 NOBODY以外にも聴きたいのがいっぱいあったから、少し遠ざかっていった。そしてCD時代が到来、とりあえずベスト盤で買ったよ。 ずいぶん経ってから「GOT A FEELING」も買ったな。
「DREAMIN' BOY 70'S」「DARLIN' DARLIN'」この2曲はずっと愛聴してたね。もちろん木原さんがVo,ね。オレ自身もギターでなんちゃって弾き語りもしてるし。
木原さんの訃報を知ってからはほぼNOBODYしか聴いてない。最初はSpotifyで聴いてたんだけど、アナログで持ってたのをCDで欲しくなってつい散財してしまった、でもホント買って良かったよ。最近のCDはレア音源が付録でついてたりDVDが付いてたりで、サービス満点。
'80年代の歌謡界への貢献度もあって、わりとポップな楽曲に思われがちなんだけど、実はすごくコアなロックナンバーも多いんだよ。ノイジーなことも普通にやってるし、、、。こんなの出来るのはやっぱNOBODY!最高!
二人はオレの10歳上なんだよ、昭和24年生まれってことを考えてみるとE・クラプトンとは5歳くらいしか違わないのよ。そんな人がそんな頃の日本でギターを弾いてる環境を考えるといろいろ想像できて楽しいわけよ。きっと簡単なことではなかったことはわかる。そんなことを思ってるうちに木原さんへの愛がさらに深まってシンパシーの強さが増幅されるね。生きてるうちに会話、いや話を聞きたかったと高望みなことも勝手に思ったり、、、。
ここ1ヶ月で相当な時間を聴き込んでくうちに気づいたことがある。20代で聴いてたころと音の聞こえ方が違うんだよ。歳取って難聴気味ではあるんだけど、そんなことではなくて、本を読む人が行間を読むように、音符と音符の間がすごく心地いいんだね。
背中側のドア(Back Door)を開けたら20代の頃の自分が見えるのも不思議な感じだけど、悪くないね、、、きもいか(笑
木原さん、ありがと! 相沢さん、長生きしてや。