同窓会で再会したのりちゃんがやってるスペース・アンジュで去年の暮れからウクレレ教室を開講した。ハッピーなウクレレを目指すという意味で「ハピレレ」と名付けた。そしてウクレレを弾く機会を与えてくれた、今はニューヨーク在住のつかちゃんが素敵で可愛いロゴを作ってくれて先ず先ずのスタートなった。
最初から教室となると少し敷居が高いのでウクレレ体験会を3回開催した。
のりちゃんの知り合いやオレの知り合いが入り混じって、毎回6人〜8人の参加者でそれなりにいい時間を共有できてると思う。オレ一人だとなかなかこの人数は集めれないから、やっぱり協力者が必要だと実感した。
音楽の高等教育を受けたわけでもないのに、よく人に音楽が教えれるなって不思議に思うことがある。体験会参加者の中には高校で数学を教えてる先生がいたり、某有名レストランでのシェフの経験がある人、みんな書き出すとキリがないから端おるけど、そんなこんなで凄い人だらけでギョギョな感じ。
とは言え、教室を主宰する以上はオレも覚悟決めて、演奏技術はもちろん音楽理論の予習と復習の毎日、これが実に楽しい。でも嫁さんには迷惑がられてる(笑)ついでに楽器(ウクレレ)そのものが持つ構造的理論も楽しく勉強できてる。
昨日、のりちゃんに今後スケジュールのことで相談に行ったら、そこにウクレレを持った外人コナーが登場。のりちゃんの知り合いのイギリス人、それもビートルズ生誕の地のリバプールから来た青年。外人さんだからてっきりバリバリに弾けるもんかと思ってたら、まだビギナーらしく、聞けば(英会話は全てのりちゃん任せ)ウクレレを習いたいと言うじゃないか、そんな流れでコナーが次からのハピレレに参加することなった。リバプール・サウンズが生まれた街からやってきた青年にウクレレを教えるなんて、まさかの展開でギョえ〜!!なんかすごくね〜か。
ちょっと話が前後するけど、コナーが来る前にのりちゃんと初めてピアノとウクレレのコラボをしてみた。ユーミンの「ベルベット・イースター」と「翳りゆく部屋」まだ二人とも練習は必要なんだけど、いろいろ込み上げてくるもんもあったりして、いい時間だった。
のりちゃん、スペースアンジュさんの協力にはホント感謝しかない、ありがと。
来月からは教室も本格的にスタートするし、体験会も継続してやります。
みなさま、よろしくお願いします。
2020年2月10日月曜日
2020年1月26日日曜日
暖冬と少ない雪のおかげで
暖冬と少ない雪のおかげで、スキー場は未だフル稼働せず。
まだホームで滑ってない。
降らないものは降らない、それを嘆いてても仕方がない。
だからいつもと違った1月を楽しく過ごさせてもらってる。
今月3本の映画を観た。
1本目は「スター・ウォーズ スカイ・ウォーカーの夜明け」このシリーズの完結編。
最初に公開されてから40年以上、実に長いのだ。途中、何回か見直さなければ話についていけないくらい、長くて複雑。作ってる側もすごいけど、とりあえず完結編まで観れたことは良しとしなくてはならない。そして正史のスピンオフも全部観たのでスッキリとしている。実に楽しい映画だった。
2本目は「フォードVSフェラーリ」これは実話をもとに描かれてる映画。
若い頃は車よりオートバイ派だったんで車のうんちくには疎くて、この映画の細部まで語れるほどの知識がない。観た後、ハイブリッド車を乗るものとしてはいささか刺激的で『やっぱり車はこうでなくちゃ』と思ってしまった。クリスチャン・ベイルがカッコよすぎて痺れた。そしてベイルの女房役のカトリーナ・バルフは全然知らない役者さんだったけど、これからは目の離せない女優さんになった。
3本目が「ジョジョ・ラビット」この映画は映画の素晴らしさを伝えてる秀作。
多くを語れば語るほど、その表現がチープになりかねないから、ここでは語らないけど、いい映画に違いない。いつも行くJ-MAXシアターでの上映が終わってて、少し焦った。でもTOHOシネマズが上映してくれてて滑り込みセーフで助かった。
そんなこんなで毎週のように映画館に通っている、さらにはネット配信で20本くらいの映画も見てるから、今月はホント映画月間だ。
スキーをしない(できない)のもそれはそれで楽しい。映画よありがとう!
まだホームで滑ってない。
降らないものは降らない、それを嘆いてても仕方がない。
だからいつもと違った1月を楽しく過ごさせてもらってる。
今月3本の映画を観た。
1本目は「スター・ウォーズ スカイ・ウォーカーの夜明け」このシリーズの完結編。
最初に公開されてから40年以上、実に長いのだ。途中、何回か見直さなければ話についていけないくらい、長くて複雑。作ってる側もすごいけど、とりあえず完結編まで観れたことは良しとしなくてはならない。そして正史のスピンオフも全部観たのでスッキリとしている。実に楽しい映画だった。
2本目は「フォードVSフェラーリ」これは実話をもとに描かれてる映画。
若い頃は車よりオートバイ派だったんで車のうんちくには疎くて、この映画の細部まで語れるほどの知識がない。観た後、ハイブリッド車を乗るものとしてはいささか刺激的で『やっぱり車はこうでなくちゃ』と思ってしまった。クリスチャン・ベイルがカッコよすぎて痺れた。そしてベイルの女房役のカトリーナ・バルフは全然知らない役者さんだったけど、これからは目の離せない女優さんになった。
3本目が「ジョジョ・ラビット」この映画は映画の素晴らしさを伝えてる秀作。
多くを語れば語るほど、その表現がチープになりかねないから、ここでは語らないけど、いい映画に違いない。いつも行くJ-MAXシアターでの上映が終わってて、少し焦った。でもTOHOシネマズが上映してくれてて滑り込みセーフで助かった。
そんなこんなで毎週のように映画館に通っている、さらにはネット配信で20本くらいの映画も見てるから、今月はホント映画月間だ。
スキーをしない(できない)のもそれはそれで楽しい。映画よありがとう!
2020年1月5日日曜日
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます
一年の計は元旦にあり、、、と言われても。この正月はダラダラと過ごしてしまった。
で、昨日(1/4)は念願の東京スカパラダイスオーケストラのライブを観に行った。
30周年のツアーでそのタイトルが「ズレたままハジキ飛ばしていこう」って、なんかカッコイイじゃないか。
別にモヤモヤとしてたわけじゃないけど、このタイトルとライブを観た後はなにか目の前がスッキリとした。
「ズレたままハジキ飛ばしていこう」をこのままパクらせてもらって、今年のテーマにしよう。
2019年12月31日火曜日
ありがとうございました。
今年最後の行事がまさかお葬式になるとは。
6年前に亡くなった親友のお母さんとのお別れだった。
息子に先立たれる2年前にはお父さんがお亡くなりになってるから、この8年間はお母さんにとって、最も辛い人生だったのに、そんな素振りは一切見せずにいつも気丈に振舞われてた。
今思うとお母さんの後押しもあったんだろう、親友の娘さんの結婚式でバージンロードを歩かせてもらった。子供の居ないオレにこんな素晴らしい経験をさせてもらったことに本当に感謝しかない。
一度だけ、お母さんを誘って立川志の輔の落語を観に行ったことがあった。その帰り道、二人で桜が散り始めた春の夜のいたち川沿いを歩いた。いい想い出をありがとう、そしてお疲れ様でした。
お母さん、空の上で秀明を抱きしめてあげてください。
ちょうど、竹内まりやの「いのちの歌」を聞きながらの大晦日の夜に記す。
6年前に亡くなった親友のお母さんとのお別れだった。
息子に先立たれる2年前にはお父さんがお亡くなりになってるから、この8年間はお母さんにとって、最も辛い人生だったのに、そんな素振りは一切見せずにいつも気丈に振舞われてた。
今思うとお母さんの後押しもあったんだろう、親友の娘さんの結婚式でバージンロードを歩かせてもらった。子供の居ないオレにこんな素晴らしい経験をさせてもらったことに本当に感謝しかない。
一度だけ、お母さんを誘って立川志の輔の落語を観に行ったことがあった。その帰り道、二人で桜が散り始めた春の夜のいたち川沿いを歩いた。いい想い出をありがとう、そしてお疲れ様でした。
お母さん、空の上で秀明を抱きしめてあげてください。
ちょうど、竹内まりやの「いのちの歌」を聞きながらの大晦日の夜に記す。
2019年12月19日木曜日
あのね、
中学校の還暦同窓会があったことは前に投稿した通りなんだけど、今まで4回くらい同窓会があって、1回目が40歳の時だったかな、それでも卒業してから24年だもんな。
みんなの風貌が変わってるのが当然で、、、。
中学の同窓会となると誰もが好きだった人と再会したいわけですよ。でもその時は再会できず残念。そして回を重ねるもそんな残念が続いて、再会することを半ば諦めてる自分も居たりした。
もともとオレが一方的に想いを寄せてるだけなんだけど。
その人と最後にあったのは17歳頃だったかな、そのあと風の噂で、高校を出たあとは大学進学で富山を離れて、その後しばらくしてから外人さんと結婚したと知った。
今回の同窓会は80人余り参加してて会場も広くて、あたりをジロジロ見るのも気が引けて見渡すこともなく、3年3組と記されたテーブルに座って同級生らと懐かしい話をしてたんだわ。
時計が進むにつれ、我ら世代じゃ珍しく動画(8mm)が残ってて、それも修学旅行の記録。
それを見るのにみんな着座して会場も少し暗くなって静かになった。
それまで喋るのに夢中だったから、喉が渇いて飲み物とデザートを取りにそっと席を立ったんだわ。
デザートを物色中に『野村くん?』って声を掛けられた『はい』と答えながらも、その声のトーンに聞き覚えがあって、脳みそが瞬間で溶けたね。そして旧姓で名乗ってくれて、その懐かしい名前の持つ響きがたまらんかったよ。周りのみんなは動画鑑賞中なんで大声を出すわけにもいかんから、小さな声で一言二言会話したら、同じ中学の先輩のTさんとFacebookで繋がってて、オレの近況も何気に見られてたのにもぶったまげたよ。彼女は年齢より若く見えたのも嬉しかったし、なにより元気そうなのが一番良かった。『今、どこに住んでる』って聞いたら、その答えが、ご近所さんだったのにも超驚いたね。
彼女とは中学1年の時だけクラスが一緒だった。2年と3年はクラスも遠くて話しすることもなかった。入学して初めての席替えですぐ近くの席にいたのは覚えてる。
あっという間に自分の気持ちが彼女に傾いてくのがわかった。
その1年生を過ごした時間なんて、休みを数えるとせいぜい200日余りしか共有してないわけで、ましてや片想いだからそこには甘い恋の話しなんてないし、懐かしい話しをしても30分もあれば終わって、40数年のブランクを埋めるほどの話しも無いやろ、普通は、、。
彼女は勉強も出来てスポーツも優秀そしてピアノも弾ける、憧れの存在だった。
だから勉強嫌いで運動音痴なオレは相手にされることはないだろうし、ライバルもたくさんいたし、競争をする勇気も覚悟もなくただ漠然としてたね。
音楽の時間、彼女のピアノ伴奏に合わせてクラスのみんなで歌うことがあった。
音楽室に流れるピアノの音や鍵盤を弾く仕草が素敵でその空気感にずっと溺れていたかったよ。その時だよ、音楽(ギター)を真剣にやろうと決心したのは。
もともと音楽を聴くのは大好きでギター弾ける人に憧れてたから、やるならギターって。
この年頃の男子がギターを始めるのはモテたいという不純な動機がほとんどだろう。
でもオレの場合はモテたいというよりは彼女に振り向いて欲しかったんだよね。
走るの嫌いだったから在籍してたサッカー部の練習にはほとんど行かず、ギターオタクになってたわ(笑)
中学2年の音楽の時間に雅楽「越天楽」をみんなで器楽合奏することになって、先生が『ギター弾ける人』って問いかけるもんだから、思わずスッと手を挙げてしまったね、数人いるかなって思ったら、なんとオレ一人やないか。
先生から楽譜をもらったわいいわ、五線譜が読めないし結局友達の兄ちゃんに弾き方を教えてもらったんやけど、和音階になれなくて相当苦労したよ。
本番の日、一番聴いてほしい彼女がクラスに居なかったから残念だったよ。
クラスは違えど授業は同じだろうから、彼女はピアノパートだったんかな?なんて思いながら弾いたのを覚えてるのも、これが人前での初めての演奏だったから。
今思うと、この音楽室であった二つの情景が原点だったんだね。
でも音楽の点数は悪かった、アルトリコーダーちゃんと吹けね〜し(爆)
10代後半は音楽に夢中だった。もはやモテるための音楽じゃなかった、真剣に音楽と対峙してたよ。当時はベース担当でアマチュアバンドのコンテストにもいっぱい出たし、ひたすら上を目指していたね。
上に手が届かないことを確信した19歳も終わる頃、ハワイ発のサーフミュージックに出会ってね、そこにタイミングよく映画「ビック・ウエンズデー」がロードショーされるもんだから、それ観たらサーフィンにハマったね。
挫折した音楽から逃げたかったんかな、、、。
サーフィン最初は難しかったけど、やっていくうちに自分の潜在能力が開花して、運動神経悪いとばかり思ってたけど、どちらかというといい方やったよ(笑)
サーフィンの話しはどうでもいいんだけど、それに夢中になった期間はさすがに音楽がおろそかになってね、でも鈍らない程度にギター触ってた。
その後、音楽との向き合い方も少し楽になって、アマチュアバンドやったり、ボサノヴァ・ギターを習いに行ったこともあった。楽器屋さんにウクレレ教室の講師を頼まれたり、ギターも教えたわ、月2のペースでトタールで5年くらい講師をしたかな。
同窓会から帰ってきて、さっそく中学のT先輩のFacebookを開いて、彼女を探して友達申請して、承認してもらって彼女のページを見たらレンタルスペース業してて、前々から個人でウクレレ教室を開講したかったから、近いところで適当な場所を探してたところにこの情報はありがたかった。渡りに船ってやつね。
早速、彼女に連絡して行ってみたらピアノも置いてあって音楽の環境がバッチリ整ってて、雰囲気もすごくいい感じ。
近所迷惑にならないだろうか?の音量と音圧のテストなんだけど、彼女の前でウクレレの試奏、それも歌いながら弾くのはこっぱずかしかったけど精一杯弾いたよ。
そしたら彼女もウクレレを弾きたいって言ってくれて嬉しくてビックリ。
でもそれ以上に驚いたのは彼女もピアノを続けていたことだ。今度一緒にコラボしようってことになった、それもユーミンで。もちろんウクレレ教室もやらせてもらえる。
恋が成就することは万に一つもなかったろうけど、音楽を始めた動機付けは不純なわりには正しかったわ、やったねオレ!
そのおかげでサーフィンとも出会えたし、ホントあの音楽室での出来事は人生を豊かにしてくれたよ。そして40数年後にね、その彼女に会って「昔懐かしい話し」だけじゃなく、少し先の「未来の話し」が出来るのは嬉しい事件の始まりなんだと、、、。
彼女には感謝だね。
音楽のドキュメント映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でライ・クーダーがキューバの老演家たちとセッションした時に残してる言葉があって、細かなニュアンスまで覚えてないけど『僕はあなたたちと演奏するために今までギターを練習し続けたきたのだ』と、遥か以前に大成功を手にしてるライが「練習」というワードを口にしたのには感動したよ。
正直言うとずーっと彼女を想い続けて練習してたんじゃないけどね、ライ・クーダーの言葉に似た感覚なんだよ。それで今の心境を残したいから書いたら、ちょっと長くなっても〜たよ(笑)
シルバーシーズンが始まってるのにブルーシーズンを語る60歳はいかがなものか、、、。
みんなの風貌が変わってるのが当然で、、、。
中学の同窓会となると誰もが好きだった人と再会したいわけですよ。でもその時は再会できず残念。そして回を重ねるもそんな残念が続いて、再会することを半ば諦めてる自分も居たりした。
もともとオレが一方的に想いを寄せてるだけなんだけど。
その人と最後にあったのは17歳頃だったかな、そのあと風の噂で、高校を出たあとは大学進学で富山を離れて、その後しばらくしてから外人さんと結婚したと知った。
今回の同窓会は80人余り参加してて会場も広くて、あたりをジロジロ見るのも気が引けて見渡すこともなく、3年3組と記されたテーブルに座って同級生らと懐かしい話をしてたんだわ。
時計が進むにつれ、我ら世代じゃ珍しく動画(8mm)が残ってて、それも修学旅行の記録。
それを見るのにみんな着座して会場も少し暗くなって静かになった。
それまで喋るのに夢中だったから、喉が渇いて飲み物とデザートを取りにそっと席を立ったんだわ。
デザートを物色中に『野村くん?』って声を掛けられた『はい』と答えながらも、その声のトーンに聞き覚えがあって、脳みそが瞬間で溶けたね。そして旧姓で名乗ってくれて、その懐かしい名前の持つ響きがたまらんかったよ。周りのみんなは動画鑑賞中なんで大声を出すわけにもいかんから、小さな声で一言二言会話したら、同じ中学の先輩のTさんとFacebookで繋がってて、オレの近況も何気に見られてたのにもぶったまげたよ。彼女は年齢より若く見えたのも嬉しかったし、なにより元気そうなのが一番良かった。『今、どこに住んでる』って聞いたら、その答えが、ご近所さんだったのにも超驚いたね。
彼女とは中学1年の時だけクラスが一緒だった。2年と3年はクラスも遠くて話しすることもなかった。入学して初めての席替えですぐ近くの席にいたのは覚えてる。
あっという間に自分の気持ちが彼女に傾いてくのがわかった。
その1年生を過ごした時間なんて、休みを数えるとせいぜい200日余りしか共有してないわけで、ましてや片想いだからそこには甘い恋の話しなんてないし、懐かしい話しをしても30分もあれば終わって、40数年のブランクを埋めるほどの話しも無いやろ、普通は、、。
彼女は勉強も出来てスポーツも優秀そしてピアノも弾ける、憧れの存在だった。
だから勉強嫌いで運動音痴なオレは相手にされることはないだろうし、ライバルもたくさんいたし、競争をする勇気も覚悟もなくただ漠然としてたね。
音楽の時間、彼女のピアノ伴奏に合わせてクラスのみんなで歌うことがあった。
音楽室に流れるピアノの音や鍵盤を弾く仕草が素敵でその空気感にずっと溺れていたかったよ。その時だよ、音楽(ギター)を真剣にやろうと決心したのは。
もともと音楽を聴くのは大好きでギター弾ける人に憧れてたから、やるならギターって。
この年頃の男子がギターを始めるのはモテたいという不純な動機がほとんどだろう。
でもオレの場合はモテたいというよりは彼女に振り向いて欲しかったんだよね。
走るの嫌いだったから在籍してたサッカー部の練習にはほとんど行かず、ギターオタクになってたわ(笑)
中学2年の音楽の時間に雅楽「越天楽」をみんなで器楽合奏することになって、先生が『ギター弾ける人』って問いかけるもんだから、思わずスッと手を挙げてしまったね、数人いるかなって思ったら、なんとオレ一人やないか。
先生から楽譜をもらったわいいわ、五線譜が読めないし結局友達の兄ちゃんに弾き方を教えてもらったんやけど、和音階になれなくて相当苦労したよ。
本番の日、一番聴いてほしい彼女がクラスに居なかったから残念だったよ。
クラスは違えど授業は同じだろうから、彼女はピアノパートだったんかな?なんて思いながら弾いたのを覚えてるのも、これが人前での初めての演奏だったから。
今思うと、この音楽室であった二つの情景が原点だったんだね。
でも音楽の点数は悪かった、アルトリコーダーちゃんと吹けね〜し(爆)
10代後半は音楽に夢中だった。もはやモテるための音楽じゃなかった、真剣に音楽と対峙してたよ。当時はベース担当でアマチュアバンドのコンテストにもいっぱい出たし、ひたすら上を目指していたね。
上に手が届かないことを確信した19歳も終わる頃、ハワイ発のサーフミュージックに出会ってね、そこにタイミングよく映画「ビック・ウエンズデー」がロードショーされるもんだから、それ観たらサーフィンにハマったね。
挫折した音楽から逃げたかったんかな、、、。
サーフィン最初は難しかったけど、やっていくうちに自分の潜在能力が開花して、運動神経悪いとばかり思ってたけど、どちらかというといい方やったよ(笑)
サーフィンの話しはどうでもいいんだけど、それに夢中になった期間はさすがに音楽がおろそかになってね、でも鈍らない程度にギター触ってた。
その後、音楽との向き合い方も少し楽になって、アマチュアバンドやったり、ボサノヴァ・ギターを習いに行ったこともあった。楽器屋さんにウクレレ教室の講師を頼まれたり、ギターも教えたわ、月2のペースでトタールで5年くらい講師をしたかな。
同窓会から帰ってきて、さっそく中学のT先輩のFacebookを開いて、彼女を探して友達申請して、承認してもらって彼女のページを見たらレンタルスペース業してて、前々から個人でウクレレ教室を開講したかったから、近いところで適当な場所を探してたところにこの情報はありがたかった。渡りに船ってやつね。
早速、彼女に連絡して行ってみたらピアノも置いてあって音楽の環境がバッチリ整ってて、雰囲気もすごくいい感じ。
近所迷惑にならないだろうか?の音量と音圧のテストなんだけど、彼女の前でウクレレの試奏、それも歌いながら弾くのはこっぱずかしかったけど精一杯弾いたよ。
そしたら彼女もウクレレを弾きたいって言ってくれて嬉しくてビックリ。
でもそれ以上に驚いたのは彼女もピアノを続けていたことだ。今度一緒にコラボしようってことになった、それもユーミンで。もちろんウクレレ教室もやらせてもらえる。
恋が成就することは万に一つもなかったろうけど、音楽を始めた動機付けは不純なわりには正しかったわ、やったねオレ!
そのおかげでサーフィンとも出会えたし、ホントあの音楽室での出来事は人生を豊かにしてくれたよ。そして40数年後にね、その彼女に会って「昔懐かしい話し」だけじゃなく、少し先の「未来の話し」が出来るのは嬉しい事件の始まりなんだと、、、。
彼女には感謝だね。
音楽のドキュメント映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でライ・クーダーがキューバの老演家たちとセッションした時に残してる言葉があって、細かなニュアンスまで覚えてないけど『僕はあなたたちと演奏するために今までギターを練習し続けたきたのだ』と、遥か以前に大成功を手にしてるライが「練習」というワードを口にしたのには感動したよ。
正直言うとずーっと彼女を想い続けて練習してたんじゃないけどね、ライ・クーダーの言葉に似た感覚なんだよ。それで今の心境を残したいから書いたら、ちょっと長くなっても〜たよ(笑)
シルバーシーズンが始まってるのにブルーシーズンを語る60歳はいかがなものか、、、。
2019年12月5日木曜日
子供の時のまま
中学の頃、部活(サッカー部)をサボって、とっとと帰宅してギターを寝るまで弾いていた。今まさにそれに近い状態で、ウクレレをひたすら弾きまくっている。手当たり次第に弾きたい曲を弾いている。懐かしい記憶が蘇ってくるのも、ちょっと嬉しい。もしかしたら中学時代よりも弾いてるかのように錯覚さえもする。
大人になるにつれ心が整理しづらくなってきたけど、音楽はそれを忘れさせてくれる。続けていて良かったと思えるひとときが嬉しい。家族には迷惑な話だが、、、。
子供の時のまま、なにも考えずただただ夢中になりたい。
ライブ用にピックアップ付きのウクレレも新調した。
大人になるにつれ心が整理しづらくなってきたけど、音楽はそれを忘れさせてくれる。続けていて良かったと思えるひとときが嬉しい。家族には迷惑な話だが、、、。
子供の時のまま、なにも考えずただただ夢中になりたい。
ライブ用にピックアップ付きのウクレレも新調した。
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