2018年7月17日火曜日

ウクレレ合宿2018

毎年恒例のウクレレ合宿はつか部長家族の都合で今年から夏の開催(7月7日・8日)となった。

この1ヶ月前に同じウクレレ部員の高Tさんとフェイスブック上でパティ・ボイド(ウィキかなんかで調べてください)の話題で盛り上がってたら、無性にエリック・クラプトンの「wonderful tonight」が弾きたくなった。この「wonderful tonight」はまさにパティ・ボイドのために書かれた曲。バンドをやってた頃、2~3回人前で弾いたことがあったんでさっそく練習をしたんだけど、なかなか難しくてうまく弾けない。それでもなんとかウクレレ合宿でお披露目できた。あまり長い動画も見るの大変なんで冒頭の1分ちょいだけをアップしてみました。全然、弾けてなくてガックリな映像ですいません。



2018年7月4日水曜日

いいものを見せてもらった

サッカーワールドカップもRound 16に入り、今日まで決勝トーナメントは全試合(録画も含む)をTV観戦したんでちょっと寝不足気味で体調不良かな。

日本vsベルギーは残念ながら敗退となったけど、久し振りに本物のサッカーを見せてもらった。ホントに悔しい試合だったけど感動した。でも一番悔しい思いをしてるのは選手や監督、スタッフには間違いない。

少し話は飛ぶけど、ベルギーは自転車競技も盛んな国で全国民が自転車レースの解説が出来るほどと聞いている。そんな国民たちが良い選手や良い環境を育ててるのには間違いない。だからこそ競技レベルも高いわけで。

当然、サッカーにも同じことが言えるわけで、我々日本人もサッカーを大いに語るべきだと思うけど、なぜかよってたかって選手個人やチーム采配への誹謗中傷などが目立つのも確か。(自分も含む)いわゆるそう言う「叩く」ことも必要なことかもしれないが終始それだと全てが与えられた結果の蒸し返しにしかならずポジティブな話しにはならない。
相手国に負けたら負けたで素直に受け入れて、その相手国のほうが上だったと言う考え方を前提にしなくては前には進めないと思う。当たり前だけど『たられば』なんて存在しないし、全てが結果なのだから。

だから信じて、このさきも応援してくであろう日本代表を。
いい試合をありがとう。

しかし、日本のほとんどのメディアにはがっかりさせられるね。



2018年6月25日月曜日

背中を押してくれた人

6月17日、テレマークスキーの大先輩そしてレジェンドの大塚信一さんが亡くなられた。
大塚さんと初めて会ったのはいつかはハッキリと覚えてないけど、初めて彼の隣に立てたのが'99/'00シーズン最終戦のパタゴニアカップ(マスタークラス)だったと記憶。

それからずっと彼を追い続けていた。勝負のあやで時たま勝てたこともあったけど、その差は歴然としていた。
'00/'01シーズンの初戦と第2戦が栂池高原スキー場であって初戦GSは5位と振るわずにいたが、第2戦スプリントで真ん中に立てた。
この時点でシリーズポイントがトップとなった。
そして第3戦が白馬みねかたスキー場でのクラシックレース。
ここも続けて真ん中をゲットした。この時、大塚さんに言われたのが『シリーズチャンピオンを取れる時に取りなさい』と背中を押してもらった。
そしてこのシーズン全6レースを転戦した。体力面、精神面、金銭面すべてが限界を超えていた。この頃には表彰台は確実なものとなってたけど、順位にムラもありポイント争奪は最終戦までもつれた。
それでもなんとかシリーズチャンピオンをゲットした。あの時あの言葉がなかったらここまでは来てないだろうとシリーズチャンピオンの表彰式で思ったのを今も覚えている。
それから数年は一つ上のクラスで参戦したため、彼とは交えていなかった。
レースを引退後'09/'10シーズンで技術戦(トラディショナル・クラス)にエントリー。この時は大塚さんが違うクラスでエントリーしたたので、棚ぼたで優勝をゲットすることが出来た。ちなみにこの時は立山山麓勢の1,2,3フィニッシュとなった。
来年は同クラスで参戦しましょうと言って別れた。しかし東日本大震災があって実現しなかった。
そして'11/'12シーズンに同じクラスで交えることになった。結果は大塚さんの足元にも及ばなかった。それでもどうにか3位(笑)

ずっと、あなたの背中を追いかけてましたよ、大塚さん。心よりご冥福をお祈りします。

4月松本にお邪魔したときお誘い頂いたのに、当方時間がなくて会えなかったことが悔まれます。あの世でお会いしたときに叱ってやってください。

2018年6月17日日曜日

波乗り週間

この梅雨時に珍しく富山湾にサーフィンが出来る波が立った。それも4日間連チャンで。
13日は常願寺川河口、少人数でムネ前後のファンウェーブを3ラウンド、14日はジャンクな岩瀬浜で、15日は起きられずレイトチェックのみ。16日は再び常願寺川河口でハラ前後のファンウェーブを4時間半。カラダも調子良くて、絶好調といかなくてもそれに近い状態。バンバン乗れたから楽しかった。一緒に遊んでくれた皆に感謝。
久しぶりにドローンも飛ばしてみたけど、操縦や撮影はまだまだ未熟でした。







2018年6月6日水曜日

6月2日と3日

この時期恒例の1泊サイクリングは京丹後を走った。
偶然、去年ドライブしたところ。
マイクロバスとハイエース(トランポ)の2台で15人が移動。
拠点は丹後由良にある民宿わすれなぐさ。少し古いけど快適に過ごせる良いところだった。
いろいろ交通事情(たんたんライドと言う1800人参加のグランフォンド)もあって2日目に走る予定だったメインコースを1日目に前倒しすることになった。距離120Km、総上昇1000m超を10時過ぎから18時までの8時間弱。
ルートファインディングも含めて、けっこう頑張らなくてはいけない感じのデータ(笑)
小グループに分かれての出発。オレのグループはアキラ先輩と哲也君と心強いメンバー。
交通量の多い街中を抜けるまでが2時間とルートミスがストレスとなった。途中、健脚チームの清田君がメカトラで合流して4人となる。その後は登りと下りだけの難度の高いコースが続く。

海沿いは景色もよく気持ちが良いが、半分くらいの距離で脚がいっぱいになってきた。
合流した清田君が元のグループに戻り、再び3人。
舟屋で有名な伊根までは強烈なアップダウンの連続で後半は笑いしかでなかった。
哲也君は脚がいっぱいになり攣り攣りの状態。
 舟屋群を抜けた後はフラットな快適な道が続く、ここを32km/hくらいで気持ちよくクルーズして天の橋立てまで。そこから宿まで、脚が攣ったりしてペースダウン、ルートミスもあり結局127kmと他のグループよりも8kmほど多いがなんとか17時半にゴール。
天気もよく湿度もそれほど高くなくてサイクリング日和だった。
 2日目は自転車にのるグループと乗らないグループに分かれての行動。
迷わず乗らないグループを選択(笑)ローカル線に乗って天の橋立て観光へ。
雪のない時に乗るリフト、風が気持ち良い。
 展望台で股覗きを、、、たしかに龍のように見える。
下山後、自由行動となりグループが二つに分かれた。
客引きの兄ちゃんにプレジャーボートを勧められ、値引きもしてくれたので貸切でクルーズ。ひとり900円×5人。観光地の割には安いのだ。男5人でワイワイした(爆)
 船着場を見ながらのお茶タイムも立地の割には安い。ここも気持ち良かった。
その後、ピンになり参拝したり、お土産やさんを見るも、この辺は北前船の寄港地なんんで、売られてるものが富山とさほど変わらず。食べ物やも海鮮が中心。おかげで散財は防げた(笑)
また数人と合流して、ラーメン。朝9時から営業してるこのお店の名前が「くじからラーメン」このラーメンは絶品だった。安いうまい早いがよろしい。
そして1本早めの汽車(架線がないので電車とは言わない)で宿まで帰って風呂入ってから帰路につく。

幹事の泰雄くん、運転してくれた野田さん、坂井くん、哲也くん、そしてラ・トータスメンバーのみんなお疲れ様&ありがとうございました。今回も大きなトラブルなく楽しく終われて良かった。

備忘録:練習は十分に必要(爆)


















2018年5月20日日曜日

1976年

先日、フェイスブックに17歳の時の写真(共に右手前がオレ)をアップしたら、嬉しくも反響がいっぱいあったので少し回顧録を残しとこかと、、、。
バンド名が『TeenyBopper』って言う名前で10代の時にしか使えない名前をよく付けたもんだと我ながら思う。メンバーは小中学校時代の同級生とその同級生の高校の同級生でいわゆるギター2ベース1ドラムス1の4ピースでやってた(写真には5人写ってるけど)。
1枚目は地鉄ビルの5Fホールでのアマチュアバンドが集まってのライブの時にステージ袖で待機中に写してもらったものだと思う。2枚目がその後の打ち上げした喫茶店『ぼろ』の3Fの練習場だと思う。
時期は12月だと記憶している。誰がこの写真を撮ってくれたかは記憶にないのだけど『ぼろ』に出入りしてた先輩方だと思う。特に1枚目の写真がお気に入りかな。この華奢な体つきが懐かしいし、それなりにロン毛だし(笑)2枚目のタバコも笑えるね。
この頃、やってたのが『はっぴーえんど』や『めんたんぴん』泥臭いサウンドのコピーだった。

そしてこの頃に出会った(買った)特に印象深いレコードが2枚ある(共に1976年発売)。
言わずと知れた『ゴダイゴ』なんだけど、これがデビューアルバム『新創世紀』で、『銀河鉄道999』や『西遊記』などはこれからしばらくしてからだった。だからこの頃は「言わずと知れた」までは行ってなかった(笑)。今聴いても素晴らしく、A面の5曲は名作ですね。
ドラマ『太陽にほえろ』『傷だらけの天使』への楽曲提供や演奏、さらには沢田研二のバックバンドを務めた井上堯之バンドの井上堯之本人名義のソロアルバム。
ただ残念にも先日他界された。悼みたく思い、彼の仕事(音楽)を聴きたく、まずはこのアルバム。そして特に影響を受けたのが彼もメンバーだった『PYG』だ。グループサウンズも陰りを見せた頃にタイガース、スパイダース、テンプターズから2名づつが参加して出来たスーパーグループだ。フロントにジュリーとショーケンがいてメチャ恰好よくて、名優『岸部一徳』もベースでの参加してたのも忘れてはいけない。この『PYG』での井上堯之と大野克夫の仕事っぷりは実にスゴいのだ。フロントの二人が霞むほどにいい仕事してます。でも当時はそこまでは気付かなかったんだけどね。
当時の地方アマチュアバンドってミーハー的なことを避けてたような気がする、実はオレにはミーハーな部分が多々あって(笑)でも、この辺りのミーハーをコピーしたいとも言えずに結局『はっぴーえんど』や『めんたんぴん』みたいな泥臭さいロックのコピーになったんやろうな。元々はモテたくてバンド始めたのにマニアック過ぎて全然モテなかったね。ミーハー路線に行ってりゃモテたかも?だね。
そして『PYG』のようなこんなかっこいい写真を残してみたかったと今更ながらに思うよ、ストライプのパンタロン(死語)履いてね(笑)
明けても暮れても、音楽しかなかった1976年そして17歳は楽しかった。

写真を撮ってくれた方やバンドメンバーに感謝です。
井上堯之氏のご冥福をお祈りいたします。

PS,中3だった思う。ジュリー&井上堯之バンドのコンサートを高岡市民会館に見に行ったことがある。『岸部一徳』も『岸部修三』のクレジットでベースを弾いてた。ショーケンが居れば『PYG』だったんだけどね。









2018年5月2日水曜日

ズタボロ

前の週、3連休にしたのが響いて16日からの21日までの6日間で8日間分の仕事をした感があってココロもカラダがズタボロな状態になった。

GW後半は恒例の薬師岳ツアーが控えてるのでトレーニングとその下見を兼ねて、飛越ルート(寺地山〜北の俣岳)に行くことに。それが4月22日の日曜日のこと。メンバーは少し増えて6名。

天気はすこぶるいい。歩き始めが6:50、山頂に到達するしないは関係なく13:00には下山開始とルールを決めた。北の俣岳までのコースタイムが6時間なんでほぼほぼ頂上には行ける腹積りではあった。登山道取り付きまで30分ほど、そこからしばらく急登が続く、シール登行が出来たのは8:00近くになってから。


ここからが想定外の試練となった。皆のペースについてけず、先行者の姿がどんどん小さくなる。この時、自分のカラダの不調がわかった。トレーニングが主たる目的だったから日帰りのわりには荷物を重くしていたし、道具も少し重いものにしたのがアダとなった。
少し休憩して補給を入れた。

そのあと足が重くなり、攣りはじめた。騙し騙し歩くもキツかった。寺地山頂手前20~30分くらいのところで意図的にスタック(10:40頃)した。これ以上進むと帰りが困難となると判断してひとりで下山を決意。すると川崎君もイマイチ調子が悪いとのことで一緒に降りることにした。先行者に余分な水(スポーツドリンク2L)を渡しに川崎君に寺地山頂まで行ってもらった。今シーズンは川崎君に迷惑かけっぱなしだ。

小1時間ほどで川崎君が戻ってきた。下山をするが足取りは重いまま。集中力も欠け1700mあたりでルートミスに気付くもなかなか正規ルートに戻れなくてその周辺を3周回した、晴れてるのにリングワンデリングとは情けない。体力は限界だったけど思い切って確信できるルートまで登り返すことにした。大きな声を発してみると先行グループの反応があった。合流出来たのは幸いだった。迷ったあとの良くなかった行動を分析してみた、老眼のためGPS画面を拡大しすぎて周囲まで見てなかったのが一番の原因で旧登山道を新道と勘違いしてトレースしてたらしい。合流してから車のあるところまで1時間ほど。林道歩きがキツくて足親指の爪が剥離したのがわかった。ズタボロな状態で下山終了(16:00過ぎ)。皆の車が停めてある大沢野で解散となる。
ひと風呂浴びようとゆーとりあ越中に行くも外来入浴の時間が終わっていた。ググると近くに小木山鉱泉があったので寄ってみたがここも臨時休業でアウト。風呂にも見放されたズタボロな日だった。
風呂はともかく無事帰宅出来たので川崎君をはじめメンバーには感謝したい。
今度はきっといいことがあるだろう。
PS、諸般の事情がいろいろ変わって、結局GWの薬師岳ツアーには行けなくなった。